昨日、いつものようにNRKの夜のニュースを見ていたら、Riddu Ridduという音楽フェスのことをやっておりました。今年のフェスはどうやら7月15日〜17日までだったようで、すでに終わってしまったのですが、面白そうなので、いろいろ調べてみたので、まとめてみようと思います。
Riddu Ridduフェスティバルとは
ノルウェーの北トロムソにあるKåfjordのOlmmáivággi(オルマイバーギ(ノルウェー語:マンダレン))で毎年開催される先住民(サーミ)の音楽と文化のフェスティバルです。
フェスティバルの目的は、サーミ、そして世界各地の先住民の文化とアイデンティティーを発展させることが目的です。
フェスティバルでは、コンサートのみならず、セミナー、パフォーマンス、ユースキャンプ、ステージアート、文学、子供向けプログラム、映画プログラム、ワークショップ、美術展、バザーなど様々なプログラムが開催されます。
Riddu Ridduのはじまり
このフェスティバルは、1991年の大晦日にオルマイバーギ(ノルウェー語:マンダレン)で若いサーミ人のグループによりはじまりました。サーミ文化の推進化がはじまってから10年後のことでした。
それ以前は、ノルウェー政府は先住民のサーミ人をノルウェー人化させようとしていました。 Olmmáivággiでは、以前は過半数を占めていたサーミ人のほとんどが、今では自分たちをノルウェー人と思っています。
1990年代、この地域では反サーミ感情が特に強く、サーミ語の道路標識が壊されたり、サーミ人が分断されたりし、次第にサーミの文化が失われていきました。
そんな中、サーミ語やアイデンティティーが失われていくことに疑問を感じたサーミの青年が組織を作り、最初のフェスティバルが1991年に開催され、それ以降毎年開催されています。
サーミ人とは
サーミ人は、スカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住する先住民族のことです。サーミ人の母国語ははサーミ語ですが、フィンランド語および、スウェーデン語、ノルウェー語、ロシア語なども話します。
ちなみにラップランドとは辺境の地を意味する蔑称で、ノルウェーではかつてサーミ人のことを「ラップ人」とも呼んでいたようですが、現在では蔑称を避けるために使われなくなったようです。
もともと狩猟・遊牧民族でしたが、現在は町で生活する人も多く、ほとんどのサーミ人は定住生活を営んでおります。そして、錫を使ったドゥオジ(サーミの手工芸品)も有名です。
サーミ人と思われる民族が初めて文献上に現れるたのは、紀元1世紀に古代ローマの歴史家タキトゥスによって著された『ゲルマーニア』という書物の中だと言われているので、13世紀以降に様々な民族が移住してきて北欧諸国が誕生するよりずっと前からサーミ人たちは住んでいたようです。
サーミ人の悲しい歴史
1251年〜1550年
この時期、ノルウェー、ロシア、スウェーデンの三国間でラップランドにおける国境、徴税権に関する合意が成立します。この合意の下、元々単一の民族であったサーミ人は分断され、異なる国家の、異なる支配体制、徴税体制、司法体制の下に置かれることとなりました。
1551年〜1808年
17世紀初頭、「ラップ」はノルウェーもしくはスウェーデン、フィンランドの国民として「国家」に組み込まれていきました。
そして1751年、国境条約が締結されたました。これはデンマーク=ノルウェー王国とスウェーデン(及びその一部であったフィンランド)の間で交わされたもので、ラップランドにおける北欧諸国家の国境を明確に定めるためのものでしたが、決してサーミ人の権利を侵害するものではなかったのです。
この国境条約は、サーミ人の権利とその生活様式の正当性を認めるものでしたが、この締結にともない、多くのサーミ人は定住化の道を選ぶようになり、遊牧を続ける「山岳サーミ人」、農耕、牧畜、狩猟、漁労を営み定住する「海岸サーミ人」、「森林サーミ人」、「河川サーミ人」「湖サーミ人」などへと変化していきました。
しかし、18世紀後半になると、スウェーデン領においてスウェーデン人がラップ地域を北上し、開拓や植民を行うために定住したため、この地域のサーミ人はさらに北部や東部へと追いやられることになってしまいました。
1809年以降
1809年、ロシアースウェーデン戦争でスウェーデンはロシアに降伏し、フィンランドはロシア領に組み込まれたました。これにより、北欧諸国家の中にロシアが入り込んだことにより、ラップ条項は事実上その効力を失い、特に「山岳サーミ人」の遊牧生活は窮地に立たされました。
これに追い討ちをかけるように1852年にはノルウェーとフィンランドの国境が、1888年にはスウェーデンとフィンランドの国境が閉鎖されてしまいます。ロシアの統治下において、サーミ人と彼らの土地などの権利は全く無視される事態になってしまいました。
そして、第二次世界大戦後、サーミ人の土地が旧ソ連に割譲され、その結果、大多数のサーミ人がフィンランドに移住することになりました。
現在
1992年、フィンランドで施行された「サーミ言語法」と、「サーミ人本草案」により、サーミ人の社会的立場を規定。
また、サーミ人が自分たちのアイデンティティを確立ないし獲得するために設立した、サーミ議会やサーミ代表団なども設立されました。
現在では、TVでサーミ人の歌手を見たり、東京でサーミを題材にした映画を見た事もあり、昔のような過酷な差別を受けるような事はなくなったようですが、かつてのつらい歴史をバネに活躍している姿を見ると感動します。
映画「サーミの血」
https://www.uplink.co.jp/sami/
このような歴史をもとに立ち上がった音楽フェスのRiddu Riddu。今後もますます発展していってもらいたいと思います。
まとめ
今年のRiddu Ridduはすでに終わってしまいましたが、毎年あるので、来年ノルウェーへの観光を検討している方は、Riddu Ridduに足を運んでみてはいかがでしょうか。
また、フェスのグッズはオンランでも購入可能のようですので、興味がある方は、オンラインショップをご覧ください。
日本でも、毎年、FUJI ROCKや、SUMMER SONICなど夏になるとたくさん野外音楽フェスが開催されます。野外コンサートは開放的で、夏をおもいっきりエンジョイできそうで、いつかは行ってみたいと思っておりましたが、ノルウェーでこんな素敵なイベントを見つけたので、いつか機会があれば是非行ってみようと思います。